死の匂いのしないものは嘘だ。

海を見ている。実家の海。
天気が良くて(むしろ暑い)波は穏やかで、堤防の影の日陰に隠れたら携帯の電波が悪いし、なーんか磯臭いし、ふと左を見たらほぼミイラ化した猫っぽい死骸が転がってるし、何かこう雑多で生と死が入り混じってる感じが海っぽくてよい。生命が生まれた海はカオスであるべきだ、と思います。
割と釣り人が多い。元気だな。

夜はライブなので、ぼちぼち自分の家に帰ろう。
本を読む体力が無いので、爪を切って気が済むまでピアノを弾こう。優雅な無職であろうと思う。
堤防の影だからか、時々圏外になる。もーちょい頑張れ。
今気付いたけど右にも30cmくらいの割と大きな魚が干からびてる。猫と魚のに挟まれて、ここでぼーっとしてたら気付かない間に干からびてしまうのかもしれない。それはそれで素敵だと思う。乾いた死体は案外清潔だ。

別役実の○○づくしとかのあのへんのシリーズが素敵。
あのサラサラっと口から出任せ書いてる感がいい。
上品なふざけ方を弁えている大人って感じで。
別役さんの演劇とかコントとかの本にもふざけ方とか笑いについて書いてあった気がする。また読み返そう。
昔から好きだった別役実さんの娘さんがDPZでライターしてるのがなんだか面白い。世界は繋がっている。

これからどんどん、面白いことが起こる気がする。
素敵なことが急に降ってくるから面白い。
悪い予感はだいたい当たるけど、良いことは予想外の方向から来るから生きることは飽きないって持論。
もっともっと貪欲に。満足は死。
面白いことだけ追求していこう。

実家はご飯が美味しくて、本がたくさんあって、あと猫が居てピアノがあるから素敵です。海も近いし。
あと、お昼とか夕方にチャイム鳴って町内放送みたいのなが流れるのもポイント高い。「みなさん、6時です。良い子の皆さんはお家に帰りましょう」みたいなやつ。
僕は思い出主義者なのでこういうノスタルジーを刺激するモノには弱いのだけれど、別に幼少期に町内放送を聞いて育った訳ではないのに、勝手にノスタルジーを感じるのは何故だろうね。きっと町内放送的なモノが「懐かしい」ということを識っているから、それをノスタルジーの文脈で勝手に消費するんだろうね。なんか深く考えるとお涙頂戴モノと同じ構造をしてそうなのでストップ。まぁ自分に関係のないモノを都合の良い側面だけ切り取って物語として楽しむって完全に下衆の為のポルノだけど、同時に人生を楽しむコツなような気がしなくもない。せめてお膳立てされた物語に乗っからずに自分で物語を見出したいと思う。

どうでもいいけどフナムシってまじまじ見たら気持ち悪い。
よこをコソコソって歩いて行ったんだけどなかなか。
なんかシンプルながらも気持ち悪いよね。
悪意を感じるデザインじゃないんだけど、なんだあれ。
脚が多い生き物に対しての嫌悪感、みたいなものって何由来なんだろうね。昨日、昔僕が父にあげたストランドビーストを見付けたけど、あれもなかなか気持ち悪い動きをしていた。仮説、人や動物は身振り手振りで感情を表現することも多いので、あの多くの脚が無感情にバラバラに(彼等にとっては違うのかもしれないけれど、僕にはそう見える)動くところから意思や感情が見えないので不気味に感じる。のかもしれない。しかし小学生の時にフナムシ素手で捕まえてそのまま釣り針に刺して餌として釣りしてた自分たくましいな、ちょっと無理やわ。これを成長と呼ぶのか。

近くの遊園地からイルカショーのお姉さんの声が聞こえる。
天気の良い日曜日ですものね。実によい。
平たい石を数個拾って海に投げて帰る。
家に帰ってピアノを弾かないと。