朝と夜と。

昨日は書けなかったのです。
何故なら帰りが遅くて日付が変わってしまったので、間に合わなかったな〜と諦めてしまったのですね、致し方ない。
しかしまぁ今日も帰りが遅くなりまして、明日はさらに帰りが遅くなりそうで、こいつはいけませんなぁ〜と、書くのです。書き始めるのです。さて、それでは始めましょう。

連休も明日までですね。
みなさんご機嫌でお過ごしなさってますかね。
ところで、無職も3連休は楽しいのですよ。
ええ、もちろん3連休の前もずっと休みでした。そして3連休が終わっても休みは続くのです。それでもですね、それでもです。連休はやはり楽しいものなのです。
ハレとケの線引きは意識次第なのです。
毎日ずっと休みだと息が詰まるし、週末の休みは息が抜けるのです。もっともっといろんなしがらみを捨てて、時計もカレンダも忘れて生きていきたいけれど、そんな生き方ができるほど私の野性はきっと強くはないのです。野にでも降らない限り、きっと社会からは逃れられないのです。まぁ、ヒトは社会的な生き物だからね。それはそれで今更否定できることではないのだけれど。
とにかく、仕事を辞めて部屋に引きこもっていても、アフリカくんだりまで逃げ出しても、社会的に死んだと言われていても、それでもやっぱり僕たちはこの社会で生きていくのです。それを救いと取るか呪いと取るかはその人次第だけどね。そのことができればあなたの救いになればいいな、と思います。

まぁ、そんなことはどうでもよくてね。
(どうでもよくないことをどうでもいいっていう癖はよくないと思う。格好悪いただの保身)
昨日も今日も散々楽しく遊んで、わーわーとバカみたいにはしゃいで過ごしているんだけれど、そのままではきっと文章は書けなくて。
静かな部屋で(もしくは夜の暗い公園で)自分の中に沈まないと言葉なんてきっと掴めない。
すごく浮かれたご機嫌な文章を否定してるわけではなくて(そんな文章はすごく素敵だと思う)それでも自分はそちら側、ではないものを書きたいのだと思う。
それはきっとできるだけ人前で出さないようにしている感情を肯定してあげること、なのでしょう。
そういったものを、読む価値のある文章へと昇華してあげることで(少なくとも自分くらいは自分の文章を好きでいてあげようと思っている)きっと僕は自分の供養をしているのでしょう。あの頃の自分がどうか報われますように。

毎日なにがあったとか、どうしたとか、そんなことは書きたくない。
思考は日常からは常に自由であるべきだもの。

眠くなってきました。ここからが本番。

と、書いた瞬間寝落ち。おはようございます。

窓を開けると朝6時の空気はひんやりとして清潔で、朝焼けの色は鮮やかで、街は静かでカラスが羽ばたきの音が聞こえて、ちょっとだけ得をしたような気分です。
ここからが本番と書いて、その先に書こうとしてたことは一切覚えないんだけど、それはそれできっとよいのです。

窓を閉めて、もう少しだけ眠ります。
おはようございます、おやすみなさい。