春色の汽車に乗って。

なーんか今朝からずっと頭の中で流れてます。
素晴らしい歌いだしですよね。
海に連れてって欲しいですなーとか考えて、秋の海はそれはそれでいいんだけど、スイートピーは確か春の花ですよね。思考があちらこちらに飛び回る。

このブログは日付が変わるまでに書くことを目標にしてたので、0時を回ればもう書くのは諦めるし時間がなかったら短文で済ますんだけど、今日はあえて書いてみます。
予想通りに動いてたまるかって話です。
思ったとおりのことをする人も、思いもしなかったことをする人も、どちらもそれはそれで愛しいんだけどね。
それでも、自分の幸せを、他人という不確定な要素に託すのはいかがなものかと、そういうお話です。
私の私自身の幸せが、他人なんぞに決められてたまるもんですかいな、といった意気込みです。
例えば雨が降ったら悲しくて、晴れたら嬉しくて、みたいなことでもそんな不確実なものに感情を左右されたくない。
雨でも晴れでも幸せになれるロジックを自分の中に確立しておくべきですよね。例えば折りたたみ傘のような。
それでも自分でコントロールしきれない要素があまりに多すぎるからこそ、リスクは分散すべきだし、分散した上で確実にリターンを回収できる体制を築くべきなのです。自分を幸せにしてあげるために、僕たちはもっともっと必死にならなくちゃいけないし、利用できるものは全て利用しないといけないし、奪い取って踏み躙って、そうやって揺るぎなき幸せを勝ち取らねばいけんのですよ。
友達はいらない、人間強度が下がるから。って阿良々木君が言ってましたね。
そんなことよりどんなことよりどんなことよりも終物語が面白すぎてしゃーないですね。
30分というか実質20分とかなのにあの密度なんなのよねぇ。1クールか2クールかわかりませんが、ともかく年が明けるまでは毎週楽しみですし死ぬわけにはいかんですし年明け傷物語ですし三部作ですし年末スターウォーズもありますしでもスターウォーズもまた三部作だしガメラゴジラバットマンvsスーパーマンもシンエヴァもあるのでほんとまだまだ死ねませんですな。死なない理由もリスクヘッジ。母数が大きくなりゃ確率は収束するのです。結局は安定を求めるつまらなさ。母数を大きくすることでイレギュラーがイレギュラーじゃなくなって、結局ただの面白くない不幸なお話に成り下がることがなにより怖いけど、自分の選んできた方法論からはきっと逃れられないのです。はい、おしまい。理性が支配している以上は枠の外には逃れられないけど、論理的な思考が僕の唯一の武器だと(本当に)思っているので、とりあえずこれだけは手放さずにやっていこうと思います。

明日は人生を変えた本のガチャガチャをしに行こうと思ってます(気になった方は各自ググって下さい)
あと、美味しいお寿司も食べてやろうかと企んでます。もちろんご馳走になる予定です。

昨日見つけた可愛すぎる物件に今日は問い合わせの電話をしたので、明日実際に見に行ってきます。人生思い通りだぜこんちくしょうめが。