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節分。

そいえばブログのタイトル変更しました。すごく気に入っているしすごくしっくりきています。ブログ作った時にちゃんと思い付けよ自分、と思いました。

 

そういえば今日は節分なので、恵方巻きでも齧るかね、と思いプラプラと近所の歩くと屋台やらなんやらがいろいろ出ていて町が盛り上がっていた。厄除けをしている観音様にお参りでも行こうかと思ったけど人が多いと疲れるので止めておいた。しかしまぁ季節には敏感でいたいので恵方巻きを買って食べる。鰯はなんとなく止めておく。最近はトラディショナルな太巻き以外にもいろいろあるので、子供みたいな舌をしている私には嬉しい。別に恵方を向く訳でもなくテレビを見ながら食べる。1人なのでわりと無言。そういえば屋台を見てブラブラ歩きながらカオス・コスモス・リーメンについていろいろと考えていたけれど本を読んで昼寝をしたらフワ〜っとどこかに消えてしまった。考えていたことは思い出せても気持ちは消えてしまうので、そのエモーション!みたいなエネルギーを無駄にしてしまったのは勿体無い。頭の中ではエネルギー保存の法則は無視することができるので、私の中で生み出されたあのエネルギーできるだけ文章には残そうと思う。

 

なので思い出し書き。

とにかく、人が「気狂い」という言葉を使う時、そこには自分は「気が狂っていない」という前提が存在するが、そもそもお前その前提に対して疑問を抱いてなさ過ぎる。自分の理解の外にあるものに対する恐怖をとりあえず「気狂い」という言葉を付けてそこに線を引くことで自分の世界を守ろうとしているけれど、その線はただの言葉で何の線引きにもならないよね。カオスに自分のコスモスが侵されそうになる時に、言葉で線引きをして安心しようとしている人をよく見るけれど、自分が安心する為に世界に線を引いてあちら側を見捨てることにより自分の日常を守ることを肯定した瞬間、自分も勝手に線を引かれて見捨てられるということを忘れないようにしよう。ここまでは安心、と目の前に線を引いて瞬間、お前の後ろにも線を引かれる。気軽に人を切り捨てる人は自分が切り捨てられることに対しての意識が低過ぎるからそのようなことをなさるのでしょうか。地獄はあちこちに確実に存在しますが天国はあまり観測されることはなく、世界に境界など無い以上もうここは確実に地獄ですので、もうみなさん諦めたり安心したりしましょう。それでも大丈夫です。俺もお前もあいつもこいつも100年後には土になり、母なる大地に帰るのです。地球と書いてガイアと読む。ともかくこれは絶望ではなく完全な救いですので、まぁ今世も徳を積んだり魂を輝かせたり、まぁ適当に遊んで楽しんでやっていきましょう。私は今夜から九州に遊びに行くので楽しみです。なんか面白くないこと書いちゃったなーとかこんなこと書きたくなかったのなーとか思いますが、まだそんな感じでやっていきましょう。

 

とっぴんぱらりんのぷぅ。