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古着を着た私。

今日はとても愛情に溢れた文章を読んだのでなんだかとても優しい気持ちになってしまって、私もしっかり今日もやろうな、みたいな気持ちになったのだ。ここ数日、頭の回転がどうにもよくなくて、なので頭をしっかり回すことを心がける。糖分とカフェインを取ればいいのか。

 

頭の回転は鈍っているはずなのに私は面倒くさいことを考えがちで、本来世界は因果関係とはなんの関係もなくカオスとして存在しているのにヒトの認識系は因果関係としてしか認識出来ないのでこれはもうれっきとしたバグで、それでもこのバグを抱えて生きていくしかないのだろうし、バグを直して世界を正確に把握したらきっと気が狂ってしまうのだからなんとかだましだましやっていくしかないのだろう、しかし世界を因果関係でしか認識できないはずのヒトである私が世界が実はカオスであると知っているのは(認識はできていないように思う)どうしてだ、私も狂人の世界に片足くらい突っ込んでいるのか、みたいなことを考えてました。あと、「私がアイドルでないことを証明できない以上私はアイドルだ」というアイドルの証明みたいなことを考えていました。

 

 

そういえば昨日は29日で肉の日で、どうもさっぱりしたものを食べたい気分だったのだけれどやっぱり肉の日ってことで肉屋に行ったけどどうもお肉の気分にはならなくて、そんなら適当に安くなってる野菜でも買って具だくさんのお味噌汁でも作って、それに茗荷を買って(私は茗荷が大好きなのだ)ちょっといいお豆腐に乗っけたりしてさっぱりメニューにしようと思って商店街を歩いていたのだが(私が食べ物のことばかり書いているのは私が食べ物のことばかり考えているからです)なんだか本当にいろいろあって、気付いたらマクドナルドのポテトをむしゃむしゃ食べていたのだ!(お酒を飲んでいたら気付けばゆきずりの男に抱かれていた、みたいな気持ちになった)なんだかとても悔しくて、それならもうご飯は抜いてやろうとなったものの、結局夜中に空腹に負けてインスタントラーメンを食べたりしたのだった。いいとこなしの食生活である。

 

 

昨夜は気持ちがそちらの方にチューニングされていたのが、テレビでやっていたドキュメンタリーが妙に沁みた。仕事帰りの大衆食堂でご飯を食べていた建設業の青年がとても眩しく感じた。あと、けものフレンズ最終回はもう本当に本当に素晴らしくて、私は今伝説を目撃しているのだろうと思った。言葉をどれだけ尽くしてもきっと語れないのでここでは語らないことにするけれど。

 

 

今日は作業的なことをするぞ!いつもとは違う空間で!という決意のもと、近所のファミリーレストランにやってきた。外はとても暖かいので買ったばかりのシャツを着たら古着屋さんの匂いがしてなんだかとてもよかった(好きじゃない古着屋さんの匂いもあります)。ランチバイキングを頼んだらサラダバーに毛が生えた程度のもので、そこにあるお店で仕込んだって書いてあるカレーが見事にレトルトな味でとてもよかった。私はいかにもレトルトカレー、みたいな味がとても好きで、それはきっと頭の中で想像するカレーの味と差異がないからだろうと思う。あの味にはある種の安心感があるのだ。

 

おじさんがランチバイキングで何かおかずを取って、おかずに醤油差しから慎重にほんのちょろっと醤油をかけているのを見て、とてもいとおしさを感じた。もうそんなちょろっとなら別にかけなくてもいいじゃないって思わなくもないけどおじさんはよりおいしくご飯を食べるために慎重にほんのちょろっと醤油を垂らすのだ。ていねいで豊かなくらしがその仕草に凝縮されている(どうも私は昨日の夜くらいから妙に人に優しいモードになっている)

 

 

最近何かで見かけて京都のSOU・SOUってお店の足袋下が私でも気軽に買えそうな値段のわりに可愛いのでどうも気になっている。私は春になると足元は裸足に雪駄で過ごすのでもうほとんど靴下を履く時間は残されていないのだが、それでもできるだけかわいいものを身にまとってかわいい私でいたいものだ(かわいい)。SOU・SOUのホームページで製品を眺めていたら、それから表示されるインターネット広告がSOU・SOUのホームページばかりになったので個人向けに最適化された広告も考えものだなぁと思う。google様はなんでもお見通しなのだ。それでも今までの広告に比べると不快感は極めて少ないのでそれはそれでよい。

 

 

店内のBGMでKT TunstallのSuddenly I Seeが流れてきたので私もアン・ハサウェイみたいに街を颯爽と歩いてみたいものだわ、と思う。覚えていたら帰りはできるだけ背筋をしゃんと伸ばして歩いて帰ろう。なんだか変な感じで締まっちゃいましたね。

 

とっぴんぱらりんのぷぅ。