遠く汽車の窓辺からは。

全然よくわかってないままに急速に春めいている。わからんなりに公園で桜でも見てのんびりしてみる。水が流れているところでは子供が全裸で遊んでいる。おまえ、おまえそれはそれでいいのか。

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花見には特に興味もないのだけれど桜が咲き誇っているし気温もいいので悪くない気分ではある。公園は子供と親とお年寄りくらいしかいない。私はどこにも馴染んでいない。帰属意識なんてものは無いくらいが心地よい。

 

 

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たまごサンドが食べたくなったので雑なやつを作る。雑なやつは雑なやつなりのおいしさがある。最近缶に入った紅茶をもらったのでティーポットで淹れて飲んでいる。牛乳をお鍋で温めてロイヤルミルクティを淹れたりもする。紅茶の味はよくわからないけど温かくて甘いやつを飲むとほんわかするのでよい。なんとなく優雅な気分になる。私なんてどうあがいても優雅にはならないので、なんとなく優雅な気分になることが大切なのだ。

 

 

私は同じ失敗を繰り返す。失敗から学ぶことができていないのがよくない。運が悪かった、くらいで考えを止めるのをやめよう。人生は確かに運ゲーではあるけれど、ある程度は運要素を減らすこともできるはずだ。全体の局面としてはもうとっくに投げてしまっているのだけれど、細かい場面場面はしっかりとやっていこう。

 

おもしろい人はだいたい性格が悪いけれど(私が性格の悪い方の笑いが好きな可能性もある)性格が悪い人がおもしろいとは限らなかったりするのだなぁと思った。おもしろくない性格の悪い人は、残念ながら捨てていくしかない。そんな感じの事態が起こったりしています。そちらはどうですか。

 

ある人物Aがある人物Bに何か害のあることをした時に、Aが悪いと考えることもできるし、そんなことをさせたBが悪いと考えることもできる。しかしそんなことをさせたBが悪いという考え方を採用するならば、そんなことをさせるようなことをさせたAが悪いという考え方も採用することができる。このような考え方を採用するには、その行動に妥当性はあるかという視点を持たないと最終的にはおまえの存在そのものが悪い、みたいなところに行き着くので注意しないといけない。みたいなことを先日の長距離移動中に考えていた。バイクの移動中は適度に思考が自由なのがいい。

 

 

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腕に全く覚えのない痣ができていてちょっとウケる。呪われているのかもしれない。激しく打ち付けたっぽい跡なのだけれど全く覚えがない。身に覚えのない生傷がよくあるので気にせずにいたし、むしろあるあるだと思ったいたのだけれど、どうやら珍しいみたい。みなさんは呪われていますか。呪う側ですか。

 

 

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忘れたころのおにぎりのコーナー。たらこ?明太子?(違いがよくわからない)が苦手だったのだけれど、最近食べることができるようになってきた。明太マヨのおにぎりはむしろうまい。生きていると嫌いなものが減って好きなものが増えるのは救いと呼んで差し支えない。

 

 

 

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風邪っぽくなると家系ラーメンにニンニクを大量に入れて食べる、みたいなことをよくしているのだけれど、前回風邪っぽくなって家系ラーメンを食べてからすぐまた風邪っぽくなったので、今回は二郎系のラーメンを全マシマシで食べてみた。近いから近所の全体的に微妙な二郎系のお店に行ったんだけど、うまいっちゃうまいけどまぁそもそも二郎系のお店なんてどこで食ってもそこまでうまいもんでもないしな、みたいに思った。二郎系のラーメンは私の中では食事ではなくスポーツのカテゴリーなのだ。我ながら失礼な話だと思う。

 

 

私がしている行為は海にバケツで水を注いで塩分濃度を調節しているようなもので、無駄なようでそれなりの矜持はあるものだ。無駄なことを諦めずにやっていくようにしよう。これもまぁ1つの戦争なのです。

 

ついに100回目のにこりんぱなが放送されてしまった。いつかの101回目を聴くために、生きていくしかない。なんだかとても嬉しいことを言ってくれた気がする。私はたまに声優が夢に出てきます。そちらはどうですか。まぁぼちぼちでやっていこうね。

 

とっぴんぱらりんのぷぅ。