木曜日。

仕事帰りにコメダ珈琲へ。

なんだかとてもどうしようもないような気持ちになり、どうやら自分はたっぷりアイスミルクコーヒーとシロノワールを食べたがっている、ということだけは分かったので、とりあえず食べる。少し落ち着きました。電車の中で無意味に泣きそうだったので助かった。

 

昨日は久々に下北沢に行った。

どうせ夜明け出発だと思い、早めに集合してゆっくり寝てようと思ったら7時半出発に変更になり、それならゆっくり寝ましょうか、と思った25時30分、ランダムに選んだキーワードを組み合わせて大喜利をするゲーム、のようなものが始まった。そのままそのゲームは4時間ほど続きました。

自分の大喜利力の低さはいずれ向き合わないといけない問題だと思っていたので(自分はツッコミである、という言い訳で逃げていた)いい機会でした。珍しく酒も飲んだ。ボケに個人個人の世界観が見えて面白い。自分はごっつも超合金もボキャブラも通っていないので、それらを好きな人とは笑いの文脈が違う、もう少し言うと笑いにおける教養不足である。というコンプレックスを解消するためにこれからの私の課題はやはり大喜利力である。作りこまれたコントの笑いが好きなので、できるだけ完成度の高い笑いを作ることを考えるのだが、酒が回り夜が更け、頭の回転が遅くなるとボケの精度が途端に落ちる。感覚的な瞬発力、地力の至らなさを通関した夜でした。

 

 

こんなことはどうでもよい。

 

 

車に乗り、喋ったり寝たり運転したりすると東京に着きました。

美味しい中華と美味しいラーメンを食べたりライブを見たり、そして帰りました。

車に乗り込み、適当に話したり寝たりしてたら気付けば朝かつ大阪でした。

 

 

眠気のピークは過ぎました。

メンタルの底からは甘いもので這い上がりました。

甘いものでの対応はその場しのぎなのですが、結局のところ、だいたいのことはその場しのぎでなんとかなってしまうことこそが厄介な問題です。

結局ほとんどの問題は時間が解決してくれるので(時間が経つとどうでもよくなったりする)、その場しのぎで時間を稼ぐ、という対応は現実的に正しいのです。ただ私の好みではないだけです。

まずは問題を整理するためにはじっくりと考える必要があり、その為には銭湯に行きましょう、となります。しかし今夜は早く寝たい気持ちがあります。即断しましょう。

 

本当は甘いモノを食べる前の泣きそうだったあの気持や衝動を書き記しておきたかったのだけれど、それらも所詮甘いモノを食べたら消えちゃうくらいの気持ちなのです。私は私の気持ちなんか、ちっとも信じちゃいないのです。

 

私はまだまだ執着を捨てないといけないな、もっともっと感情を捨てたい。

感情に左右されてその場での最善の行動を選ぶことが出来ないのが悔しい。昔に比べるとそのような失敗がずいぶんと減ったけれど、それでもまだこのようなミスを犯す。どんな時も気負わずに、最善手をただひたすらに指し続けることをできる強さを身に付けましょう。自分の欲しいものを全てを手に入れて完全に満たされる日までは決して浮かれず、大切な物ほどゴミのように扱って、そしていつだって胸を張りましょう。

 

私は悪魔じみた人間になりたい。