わたしはちくちくと針仕事をするのだ。

あいかわらず毎日まいにち飽きもせずに暑い日が続いている。わたしも負けじとまいにち暑さに飽きることなく暑がっているし、クーラーの涼しさにも飽きることなくこりゃあいいもんだとまいにち感動している。わたしは昔から同じごはんをまいにち飽きずにおいしく食べることができるのだ。おしゃれに疎いので半袖を解禁するタイミングがどうもわからんままに腕まくりをして汗を流す日々を送っていたのだけれど、ようやく半袖を着ていいという確信を自分の中で持つことができた。暦の上では立秋らしく、つまりどうやらもう秋らしい。いろんなことに追いつくことができないままに日々は過ぎていくのだ。

 

 

わたしはだいたい年中ジーパンを履いていて(夏になるとすそをまくる)お気に入りのやつがあればだいたいまいにち履いているのだけれど、今のやつは着心地がなかなかによくて気に入っている。のだけれど長く履いているとだんだんに痛んでくるもので、負担の多い部分(股のあたりとか)が破れてくるのだ。破れるたびにお店に持って行って直してもらっていたのだけれど、最近は自分で直すようにしている。このズボンは外国製のやつなのだけれど、ホームページから申し込むと補修セットを送ってくれるのだ。無料で!スカンジナビア半島から!すごい!しかもちゃんと同じ生地と縫製で使った同じ糸を送ってくれる。すごい。

f:id:bamiiiii:20190811231918j:image

これは後ろポケットが破れたのを直してしばらく経ったやつ。同じ生地と糸で直すから綺麗に馴染むし糸も染料が落ちてきてちょうど同じ色になるしとてもいいのだ。わたしは気に入った物は長く使いたい方なのでとてもうれしい。ブランドとしてリペアキットや送料を負担してでもしっかり直して長く履いて欲しいという姿勢なのはとてもいいと思う。手を入れたら手を入れただけ愛着も湧くものだし、そもそもわたしは針仕事がわりと好きなのだ。ズボンのあちこちを直していたのでまいにちのように針仕事をしていた。わたしの裁縫箱は小学生の家庭科の授業で買ったやつで、特に買い換える予定もないのでこれからもずっと使っていくのだと思う。

 

 

f:id:bamiiiii:20190811181551j:image

少しひさびさにモーニングをした。わたしは気をぬくとすぐワカホリってしまうところがある。最近は朝からひと仕事こなした上で店に行ってあれやこれやをしていたのだけれど、それだともうほんと起きてから午前中はずっと動きっぱなしになるのだ(汗も流しっぱなしということになる)。それはそれでまぁよいのだけれど、がんばらないことをがんばることにしているのでモーニングでゆっくりしてみるとこれがものすごくよかった。アイスティーを飲んで、トーストやらサンドイッチでも食べながらiPhoneを片手にだらだら過ごすのはとてもさいこう。すごくいいというか、私の朝の過ごし方はこれが当たり前なのだ。朝ごはんは人がわたしのために用意するべきものだし、それをわたしは眠い頭でもしゃもしゃとするのだ。ちゃあんと身分をわきまえて朝を過ごそうと思う。

 

 

あいかわらず最近は銭湯によく行っている。家風呂はスマホを持ち込めるという点においてはなかなかに強いのだけれど、やはり水風呂がないのがいたい。水シャワーなんかじゃ身体はぜんぜんに冷えないのだ。もっともっとわたしに冷たい水を。人に銭湯を勧められることがあり、それをきっかけにまた改めてこのあたりの銭湯と向き合うことになった。私はだいたいどんな銭湯でも好きなのだけれど、ひさびさに気に食わない銭湯を発見した。ざっくり言うと気持ちが伝わってこないのだ。知らないあいだにわたしはめんどくせえ客になっていたらしい。とても残念。しっかし残念な銭湯があれば最高な銭湯もあるもので、強い気持ちと信念と絶え間ない努力によって磨き上げられた銭湯に出会って感動を覚えたりもした。すごい。いろんな銭湯を見て、いろんな銭湯を知って、自分がなにを好きかに気付いて、そして自分の中に理想の銭湯を描いてそれを探すやつをしよう。人生をかけてやろう。死ぬ前に最後に自分のベストオブ銭湯を発表しよう。

 

 

数年は会っていないし連絡も取っていない友達にひさびさに連絡を取って、いまから来いやみたいなことを伝えたら本当に小一時間で来て感動した。数年ぶりの唐突な連絡に対して即うごける人間のことは、なかなかやるやんけと思わずにはいられない。数年ぶりに会った私たちにも同じ教室で過ごした時間があって共通の思い出もあって、それでもお互いの記憶の抜け落ちてる部分もあるのでそれを補完しあったりした。わたしが忘れてしまったことを覚えていてくれる人がいるということはとても幸せなことなのかもしれない。わざわざLINEで伝えるほどでもないことは、会って話すことでしか話せないわけで、そんなくだらない話ばかりをした。あの頃の僕たちの悪い予感は確かに正しくて、それに対しての僕たちの行動はやっぱり未来をなんにも変えることはできなくて、それでも最終的にはなんとなく丸く収まっていて、それがとてもとてもよかったのでみんなで笑ったりした。

 

 

いろんな人と話していて気づいたのだけれど、わたしの中で美しくありたいとか誠実でありたいという思いはなかなかに強くて、しかしそれに対して躊躇なくノータイムで動けるほどにわたしは魂の精度が高くないので、なんやかんやもにゃもにゃとしながらも自分の中であれやこれやをちゃんとすることができてよかった。最終的にはぜーんぶ胸を張ったりじぶんを愛するためにやっていることなので、今日もわたしは胸を張って自己愛もりだくさんでやっております。やったね。

 

 

なにを書いているかわからなくなったので、そろそろおしまいにします。わたしももっともっと美しい文章が書けるようになりてえので、もっと読んでもっと書いて、まずはわたしがもっともっと美しくならんとですね。みなさんが美しくないのは仕方がないことですが、美しくあろうとしないのはどうしようもないですよ。おしまい。

 

とっぴんぱらりんのぷぅ。