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沈黙は死。

いやぁ、僕もわりといい大人(good adult)ですからね、「沈黙は金」って言葉くらいは知っていますからね。どちらかというと喋りすぎて失敗する方ですから雄弁は銀どころじゃないですよ、石ですよ石。で、その上でやはり話すしかない、書くしかない。沈黙は金だろうとそれは僕のスタイルではない。もっと言葉を。もっともっと。軽い言葉をどんどんどんどん重ねて、もっと軽く、もっと軽く。言葉を重ねれば重ねるほどにどんどん意味が失われていくそんな文章を書くのだ。書いたそばから、読んだそばから忘れよう。インスタントな消費に甘んじよう。文章を書くのも10日ぶりってことは10日も死んでたんですね。それだけ死んでたらもう完全に過去の人で記憶からどんどん消えてしまう。それは怖いし悔しい。人間関係なんて思考のリソースの奪い合いなんだから、もっともっと奪わないと。思考レベルで支配しないと。思考の自由を失われた人ってほんと滑稽な行動するよね。

とにかく私はまだまだ私の求める私にはほど遠くて、でもまぁいいか、なんて思う訳もなくて、もっとコンテンツ力を、おもしろ力(ちから)を高めないといけない。そうじゃないと僕に愛されない。自分に自分が飽きられないように。自分に消費し尽くされないように。気を抜いたり諦めたら即死ですねこの世はほんと楽しすぎるね。

業の深さとコンテンツ力は比例するのか問題は、またそれが救いか悲劇が問題でもある訳で。見世物になってまで生きたくない人にとってはほんと、絶望しかないのだろうね。しかし私があなたにとって見世物でしかないのに、あなたは私にとって見世物以外の何であると言うのか。見世物としての自覚がある人は強いし、どう考えてもこの世は見世物小屋だし、連日満員フリークショーを見てるつもりが自分も見られてるってこの構造。見世物or路傍の石以外の選択肢がないのに石を選ぶ人はすごく謙虚というかなんというか自分に無いものを持っているのですごいなぁと思います。どうせなら笑ったり笑わせたり笑われたりして笑顔が溢れる人生を送りたいですね。

とにかく私はお腹が空いています。
空腹にだいぶ体が慣れてきたので、野菜ばかりを食べる生活にも慣れてきたので、このまま痩せてやろうかと思います。体型なんて要素に魅力が左右されるような人間にはなりたくないのですが、しかしまぁ、綺麗な体型をしている方が自分で自分をより愛せて、その自己愛が私をより輝かせてくれると信じています。

通勤用の本が終わりそうなので、今日は書くことにしました。こういう文章を書く人はあまり好きではないので、自分が好きな文書だ書こうと思います。この文章に出てくる一人称の種類の多さが、僕の自意識過剰感を実によく表しているので、そこだけはまぁ、いいんじゃないですかね。