神話の時代の定義とは。

辞書的な意味じゃなくて個人的な話。んじゃ定義とか言うなって話だけど。

言葉は常に正確に使えって人に言うくせに自分は言われたくないので予防線を張る。

まぁそれはどうだってよくて。もう十分ダサいよ。

すっごくわかりにくい話だろうとは思うけど、ほんとわかる人もすごく少数だと思うけど、80年代のゲームセンターの空気に触れてこなかったことと、ネトゲ黎明期のUOを体験できなかったことに対してのコンプレックスがひどい。

もうほんと置き去りにしている感じがすごいけど、そもそも自分の為に書いてるからいいんだけど、本当になんのことだかわからないとは思うけど、ずっとずっとそこは憧れ続けて拗らせてる。

90年代のゲームセンターはわかるんだけれど、パックマンスペースインベーダーも子供の頃にテーブル型筐体でプレイしたけど、もう時代の空気は薄れつつあったもんね。きっともうあの僕の憧れている時代は終わってしまったのだ。きっとあの頃は神話の時代だったと思うのだ。

 

で、唐突にタイトルの話なんだけど、神話の時代とは何かって話。

神話の時代とは、きっと神と人が共存していた時代なんだよ。神がいて、そして人もいた。そんな時代。

僕の感覚だとapple2ちゃんねるの神話の時代は体験できた。あの時は確かに神話の時代だった。神と人が共存していた。そんな時代が確かにあったのです。

神話の時代はどのように終わるのか。それは神が死ぬか人が神を殺すかすると終わるのです。

ここでの死は具体的は死でもいいし、神性を失うということでもいい。

ともあれ神であろうといつかは死ぬ。信仰心が無くなっても死ぬ。

もしくは人が神を殺す。神話の時代は神殺しで終わる。

神は死んで代わりの神は生まれないことが神のその神性を証明する。もしくは人が神を殺すことで人々が神となる。そして神話の時代は終わるのです。

そして何より大事なのは、神話の時代は終わって初めて気付くのです。

神が死んで初めて人と神が共存していた奇跡に気付くのです。

だから僕たちにできることはただ語り継ぐことのみです。

神話は終わって初めて神話と成り得るので、だから僕たちは神話を語り継ぐのです。

神話を語り継ぐことに比べて、神を引き継ぐことはとても難しい。誰かが神を引き継げるのであればそれは誰もが神になり得ることと同じなので、結局神は死んで神話は終わってします。

そう、ここは現人神の国。八百万どころじゃない、12500万人総神の国なのです。

神とはなんぞやと言うとかけがえのない人にはなり得ない存在なのだろうけど、人の信仰さえあれば人はみんな神となり得るのです。

誰もが誰かの頭の中で、誰かの神なのです。もう神話は個人で紡ぐ時代。神話だって個人対応。ハンドメイドのオーダーメイドのホームメイド。自由に信仰しちゃって下さい、みたいな感じ。

だから俺もお前も神なんだし、きっと今も気付かないだけでいつか神話の時代を生きてた奇跡に気付けるはずだし、神話は語り継いでいこうぜって話です。

 

今日は仕事中ずっとこんなことを考えていました。実際に書いてみると頭の中で考えていた時の方が面白かったなーみたいなことよくあるよね。悔しい。